冬の夜景とクリスマス風景
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今年は秋は暖かい日が続き、紅葉・黄葉も遅く、美しさという点では残念でした。
上は皇居東御苑、江戸城大奥の跡地、下は井の頭公園の遅い紅葉です。
都心の銀杏も北風が吹く頃、徐々に色づいて落葉がはじまりました。
右は神宮外苑。
下は、下町の富岡八幡宮の境内の銀杏、もう酉の市の日でした。
仕事の帰り、駅までのショートカットに神田公園にはいったところ見事な銀杏が見えました。不順な気候を象徴するように、落葉中、黄葉盛り、緑の銀杏が並んでいます。
最近、港区青山一丁目から新宿区信濃町までは、歩いて行くことにしています。地下鉄のとるよりも歩くほうが早いくらいです。東宮御所と神宮外苑の間の道は、緑の多い気持ちのよい散歩道になっています。かって学習院初等科の院長になった乃木将軍が馬で通った道です。
神宮外苑の銀杏並木が不作だった今年の秋は、この道がとても素晴らしい黄葉を魅せてくれました。下の写真はなんと12月21日です。
青山御所の中の銀杏、秋の台風で巨木が倒れた跡の歩道の隙間から見えました。
杉並区の私の家の近くには浴風園という大きな敷地の老人病院があります。ここは、明治時代には、新宿中村屋の歌人の奥様の別荘で黒光園と呼ばれた場所です。
園内には有名な桜だけでなく、銀杏やケヤキの古木があります。
浴風園の裏手にある若い銀杏ですが、葉もたくさん茂り、日を浴びて黄金色の輝いていました。
今年の秋は、このような輝くような銀杏は、殆どみることはできませんでしたので、忘れものを発見したような喜びがありました。
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木枯らしが吹く夕暮れ、都内からも富士山が見えるようになります。
井の頭公園を散歩した土曜の夕刻、富士山が見える吉祥寺通りの歩道橋に登ってみました。東西の空に大きな富士が見えました。夕方の残光のなか大きな鳶が井の頭公園の上空を舞っていました。
また、別の土曜日、玉川上水を高井戸から井の頭公園まで遡ってみました。
下の地図の右下の「どんどん橋」まで玉川上水の両側に2車線の道路が建設されることになっていて、農地などが消えてゆきます。
玉川上水の土手と道路の緩衝地帯に移されたケヤキの古木は枯れることなく育っているようです。
右の木は、どんどん橋の脇にある大木です。道路はここで地下にもぐると説明されているのですが、この大木を是非保護してほしいものです。
ここまで来て、日没に近くなったので、富士山の夕焼けの写真をとるべく、小高い丘のある「牟礼の里公園」に向かいました。
赤い富士をみることができました。同じ場所に写真を取りに来た年配の男性が4名もいたので、少し驚きました。
自分だけ知っている富士山写真のスポットと考えていたのですが、みな同じことを考えるのですね。
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東京都の南部は戦後まで、南多摩郡玉川村と呼ばれていました。いまは、大半は世田谷区となっています。この旧玉川村を、NPO山の自然学クラブに案内してもらい、等々力(とどろき)駅から歩きました。
この地域は明治時代には原野と畑だったのですが、大正にはいって、玉川村村長だった豊田正治氏が、玉川全円耕地整理事業を始めて、全域にわたり、区画整理を行いました。上の地図からも南北に切られた道路が見て取れます。
等々力駅近くの役所では、雨の中、豊田正治氏の記念碑の前で地元の農業関係者が餅つきを行っていました。
駅の近くにある等々力渓谷を見に行きました。あいにくの土砂降りの雨にゴルフ橋から渓谷だけのぞいて通りすぎました。
ご覧のとおり、カエデも紅葉しておらず、秋の渓谷とはいえない緑の多さです。
等々力駅の北側には、満願寺と玉川神社があって、ちょっとした緑地帯になっています。
下は玉川神社の境内です。ここにも、豊田正治氏の玉川全円耕地整理事業の巨大な記念碑たっていました。
このあと、等々力で今も続く大平農園のご当主のご自宅を訪問しました。
都内とは思えないほど立派な屋敷林のある農家でした。
現在の大平農園のご当主は品のよい老婦人で、お茶をご馳走になりながら、後継者のいないこと、地元のボランティアの方々と無農薬野菜の会員制頒布会で、農業を継続していることを語られました。
都市部に農業が残ると良い面もたくさんあるのですが、農業を続ける当事者にお話を伺うと、経済的に合理性のあることではなく、後継者もいない悩みもあり、悩みは大きいようです。日本にも、こうした農地を買い上げられるナショナルトラストがあれば良いと思います。
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